「限界」と叫ぶ気持ちを、
逆に馬鹿にしているんじゃないだろうか、と。
さっき、ニュースを見ながら、気づきました。
いや、「もう限界です」と、
誰でもだいたい思っていますよね。
でもね、ニュースで、執拗に、
「もう限界です」と言っている映像をね、
市井の人の言葉として、ひたすら流していますが。
逆にね、「限界です」とね、
流していることで、ますます、
「事なかれ主義です」とね。
言っているように、聞こえ。
そうじゃなくて、強さを誇るのではなしに(かつ)。
もうそういうのじゃなくて、情報を、
送ろうという。そういうコンセプトだけのほうがね、
いいように思います。いや、
だって「限界です、なんで限界ですか」
と、誰でも思うものです。
でも、それをね、恨み節そのものをね、流し続けることで、
もうげんなりしてね、「だめだだめだ」とね。
する気持ちが、仮に全部になったらですよ。
それは嫌ですよね。当たり前じゃないですかね。
流す言葉には、礼節が必要です。
誰でも、いつでもそうです。
後ね、観光地のお客が少ない、とか。
はたまた、商店街に人がいない、とかね。
それをね、「重大事です」と、流しているというのは。
面白がってどうするの、と思います。
そんな小さな問題じゃないです。
また、いたらいけないんです、わかってください。
商店街の人のためにも。観光地の人のためにも。
いるはずがない。そうしなきゃいけないんです。
国難というものとも違います。各国全域なんです。
わかって欲しいのです。
そんときに、観光地に観光客が、
いて、商売が成り立っていたら、もう、
感染症は満喫しきって、もっと手に負えないでしょう。
けれども、誰もが、客がいない。店ができない。
お金がない恐怖に、震えているはずです(その客商売の方らは)。
そんときにね、「重大事です、人がいません」というのは。
いない方に誘導するべき報道で、あんまりにも、
逆さまな。アホなやり方に見えました。あたしは、
結構、これは逆に、問題を矮小化しようとする。
そうとうあくどい手段だと、確信しました。
そんなん、市井の人が、勇敢に生きているときに。
それを、サポートする立場の報道が。
「人がいません」というのは。おかしいです。
なんでなんでしょうね。人間の盲点ですね。
いちいち、しつこいかもしれませんが。
「人があまりいません、みんな頑張っています」
頑張っていますよ。ですから、
「協力ありがとうございます」と。
そこの言葉を、知ってください。お願いします。