ひさしぶりに、聞いてみようと思い立ち、
水曜日の朝に、
ちょっと、変な具合なことが、
ありまして、
心当たりが、あるものですから、
まいったなー、となっていました。
で、昨日かな、
ひさしぶりに、スピッツを聞こうと、
思い立ち、
覚えのいい曲を、ちょっと、
まあ6曲ぐらい、聞いてみたんですね。
今、聞き返せど、
まったく、その通りで、
草野マサムネさんが、
楽曲に宿した、力に、
涙拭って、聞いていたんです。
そうですね、音楽は、
表現者の事実と、
リスナーズの趣向を、
どちらも、あんまり比例することなく、
両立させているものです。
誰かの、聞きかたが、
事実、送り手の、聞きかたと、
イコールなことは、
かつ、あまり多くありません。
そこんとこを、踏まえて、
まっすぐ、あたしが信じている通りに、
何回か歌ってみたんですが、
本当に、ドーパミンも、
セグメントも、あんまり、
いじらしいまでに、その通りな、
ものですから、ついつい涙が、
溢れてしまって。
自分との、相違点に、
むしろ、憤りを感じました。
あたしは、こんなにも、
ついているのに、と。
なんで、あの時、
あんなことが、あったのでしょう。
あたしは、手に取るように、
思い出せますす。
なんで、あたしと、
あなたたちは、こんなに、
遠い地票を、生きなければ、
ならなかったり、するのでしょう。
なぜ、ひとは、すぐに報われたり、
しない、生きものなのだろう、と。
かけがえのない、表現者たちの、
真実は、実に、鏡写しのように、
ひとに、涙を教えてくれます。
本当の。
そんなことを、この1月は考えています。