プレゼント

チルチルミチルの青い鳥、それは本当の奇跡の証。

今日は阪神・淡路大震災の起きた日です。

あらためまして、こんにちは、

いつもは、シェリルと書いています。

ですが、このエントリーでは、

あたしの名前、ラディールとして、

書かせていただきます。

こんにちは、ラディールです。

 

阪神・淡路大震災、から、25年。

あの日、あたしも地震に遭い、

結構長い間、揺れていたので、

怖かったなあ、と。でも、

そんなぐらいで済んで、良かったなあ、と。

思い、その後母がテレビをつけたら、

母の生まれた街、神戸市の被災の、

崩れた高速道路に、母が震えていました。

 

震度5強だったように、覚えています。

あたしの街は(三重県の北端、桑名市でもそうでした)。

 

心から、犠牲になった6434人のみなさんに、

哀悼の意を表し、ご冥福を強く、祈っています。

おつかれさまでした。

ありがとう。

 

25年。あたしが17歳の時の、

震災だったんだな。と、

今、噛み締めました。

 

1995年、青春の盛り。

今も、綿密に覚えています。

素晴らしい季節だった、あたしの17歳。

夢を、抱き、今は、叶えて。

こうして、文章を書くのが、

あたしの、本当の夢でした。

いつも、そうありたいな、と、

思うようになった、その一年です。

 

今の自分の、人格を、築いた、あの一年。

 

今、少年少女よ、どんな夢を、

抱いていらっしゃいますか。

とても、夢は、人生は、容易いです。

けれども、間の苦労は、生半可ないです。

けれども、叶えて、生きて、

ずっと、あり続けることへ、思いを、

抱き、感謝をしながら、

 

センター試験もですね、挑んでもらいたい。

 

センチメンタルな、時季に。

ゆっくりと、しっかりと、

祈りのこの日、手を合わせます。

 

神戸市を、あたしは、いつも、

親しい友達のように、思っています。

何回も訪ねました。

母と行ったのが、25歳の誕生日。

母が喜んでくれた。

生涯、一度だけの神戸市。

 

いつも、関西人のあたしですし、

それが、例え、北端の桑名市であっても、

あたしの言葉が、関西弁なのだけは、

紛れもない事実です(笑)。

 

讃岐弁らしいんだけどね(なんでだろうね)。

 

かけがえのない、関西へ。

ありがとうございます。

また遊びに行きます。

そうして、今日のこの日を悼んでいます。

いつもありがとうございます。

 

手を合わせて、理想を追って、

そうして、また描き続けたい、

新しい未来があります。

 

それでは、またこの後も。