誰の命だって、ひとつずつのものです。
それでは、こんばんはです、
ラディールです。
ありがとうございます。
今日は、津久井やまゆり園という施設で、
知的障害の利用者さんたちが、
殺害された、悲しい事件の、
初公判が、横浜地裁で行われました。
これを、少し、取り上げます。
普段、あたしはあまり、こういうことを、
書かないように、取り上げないように、
気をつけています。けれども、
少し、考えのよすがに、なってくれると、
いいなあ、と思い、酷いことを書きます。
知的障害とは、何か。
それは、当たり前ですが、
ひとつに括れるものでは、ありません。
また、障害には、知的、身体、精神の、
三種類があり、どれも、同じだけ、
障害として、また、障りとして、
あるわけでは、ありません。
そこだけ、書きたかったのです。
今年は、東京でオリンピックがありますが、
同時にパラリンピックがあります。
で、パラリンピックに出場される方は、
まあ障害者と呼ばれますが、
素晴らしい高潔な人間だと、
だいたい、誰でも、100%、
思うと、思います。だからして、
障害者である、ということが、
すなわち、全て、同じもの、
問題のレベル、生き難さ、そうして、
対応の難易度、が、同じとは、
思わないで、ほしいのです。
もちろん、重い障害の方も、
その生命、ある限り、尊厳を持って、
扱わなければならないのが、事実です。
当たり前です、生きて動くもの、
あるいは、動かなくても、生命は、尊厳。
そうして、亡くなられてからも、
あった方、として、いつまでも、覚えておく。
そういう、存在ですよ。当然です。
ですが、その障害は、痛烈に、重いのです。
そこです。あたしは、その、独特さをね、
もうちょっと、専科的に、わかってほしい、
と書きます。障害の軽い方やら、
精神の普通よりちょっと重いぐらいの方、
と比べた際、凄く力が、支援にかかります。
それを、わかってほしいのです。
ですから、支援が出来ず、施設へ、
となっていることが、ありますが、
その、まとまった人数で、暮らしている、
その施設の、やりにくさですね、
独特の、匂い、というか、そこだけは、
暗部にしては、ならない、と、
みんなで、自覚すべきことです。
施設職員さんたちだけで、戦わせない。
支援を、どうしたら出来る。
最期まで、人権を保てる。
そこを、重ねて、お願いします。
あの、正直、障害の重さ、また、タイプは、
形態はありますが、まちまちです。
また、その障害者の方の、生きやすさ、
あるいは、生きにくさ。それも、
それぞれなのです。精神と知的でも、
違いますし、身体の中にも、差がある。
全然違いますし、はたまた、自閉症と、
発達障害でも違うと思いますよ。
違いますよね。四肢欠損、
さらには、その中でも、事故、病気で、
まったく異なります。
ひとりひとりの生命があり、
障害があり、タイプがあります。
その、ひとりひとりの、生命のきらめきを、
最期まで、支援するのが、福祉です。
生きられるように、生きやすいように。
せめて、少しでも安心してもらえるように。
その、障害者の方にね、楽な気持ちを、
少しでも、味合わせてあげたい。
そう、思い、支援に入られる、職員さんたちは、
けれど、その隙間の痛みに、ギリギリと、
生きながら、悲鳴を上げているのも、
紛れもなく、事実です。
誰が、悪いわけでもないのです。
けれど、そこには、独特の気配が、
いや、匂いがあります。
それを、身体で受けて、堪えて、
そんな職員さんたちに、いつも、
完璧を、求めるのも、無理なこと。
そうでも、あるのです。
そのジレンマの狭間に、
永遠の隙間はあります。
けれど、その隙間へ、その人たちを、
すり抜けさせたくないのも、事実です。
そのバランスの間で、人は生きています。
生きている間に、少しでも楽しいことを。
亡くなられたその時の、悲しい悟りを。
そう、思いながら、数多の素晴らしい方が、
懸命に、支援を続けられているのが、
今日の日本の姿です。
いつも、頑張ってらっしゃる、
福祉の、中間を生きる、職員さんたち、
お疲れ様です。ありがとうございます。
辛い事件ですね。
最初に、瀧川剛史アナが、
読み上げる様を見て、あたしも、
動揺したのを、覚えています。
いつでも、微笑みを。
そんなこと、叶う範囲でないと、
あたしも、正直ご存知あげています。
どの障害の方も、程度が、パターンが、
違いますね。おひとりおひとりに対し、
アセスメントがあり、モニタリングがあり、
支援計画があるんだと、思うんですが。
どうですか、どう思いながら、職務へ、
挑んでらっしゃいますか。
これからも、努力をし、頑張って、
あたしは、精神に対する、ダメージを、
大きく受けている方の、フォローを、
続けると、思います。
そんな悲しみ、あなたになぜありましたか。
そう、書きたくなること、
痛み、わからない、と、書きたいとき、
あたしにも、あります。
なぜでしょうね。
なぜ、人は悲しい隙間に落ちてしまう、
ものなんだろう、と。
今、書いていても、涙が溢れてきます。
ひとりひとりに、暮らしがあり、
笑顔があり、常識が足しなく、そうして、
注意力が散漫だったり、と。
優しい瞳で、10年以上、
見守ってきた、ものごとも、あります。
いつも、笑顔が大事ですね。
あたしが、蹴躓いた頃、
笑顔を、と。心を開け、と。
言われ、実現し、今の偉そうな、
あたしがあります。
ええ、自閉症の同級生を見て、
凄く、バイタリティがあるな、と、
知ったのが始まりの事件でしたね。
いつも、なんか力の小さな、
でも、寛容な素敵な、ひとたち。
ちょっと意気がっていて。
ちょっとクセがあって。
そうして尖っている子たち。
何年も、見てきました。
精神障害とは、何か。
それは、世間の偏見です。
それを、知っていますが。
でも、夢を捨てることのない、
素晴らしい日が、彼らに降りてきて、
ほしいのです。
これが、あたしの本音です。
でも集中力不足の、悲しい仙人のような、
彼らに、鉢が回ることは、今回はなさそう。
今回の初公判を、どう、
社会で受け止めていきましょうか。
あたしは、あまりネガティブに思わないで、と。
書いておきます。
ポジティブに考えるの、無理ですけどね。
でも、あの、いつも、支援を頑張っていらっしゃる、
あなたがたが、負けないように。
少しでも、明日が、やりやすいように。
利用者さんたちもですね。
そう、思いながら、苦言をさせて、
いただきました。
ありがとうございます。これからも、
あたしも、東京パラリンピック。
応援します。また、障害者の、
本当に、差異ですね、知的、身体、精神で、
まったく異なる問題だということも。
しっかり、書いておきます。
全て、一絡げに、しないで下さい。
心から、犠牲になられた方の、
ご冥福を、お祈りしています。
また、傷を負われた方の、これからの、
道を、安んじるよう、お祈りします。
ありがとうございました。
長い文章で、すみません。
いつも、あなたを、あたしは、
応援して、います。ありがとう。
ラディールでした。