誰がために、これはある。
だいぶ夏らしくなったというか。
もあーん、としていますね(外がね)。
こんにちは、シェリルです。
今日は木曜日、いかがですか?
あたしは、まあまあより、ちょっと、
ダウナーな気持ちで、今日を暮らしています。
まあ特に理由はないんだけども。
京アニの、犠牲者の氏名を、
近く公表することになった、と。
34人も亡くなった、事件としても、
凶悪そのもの、めずらしいものですが。
これからも、ありふれた犯罪に、
この規模のが、ならないように、
気をつけて、生きていきましょう、
そんな風に思います。
最近、考えているのが、
不業で、亡くなられる際、
その無念は、いかばかりであっただろうか。
どう、その最期の瞬間、
嘆いて、いらっしゃっただろうか、という。
その点で、あります。
なんで、そんな風に、
自分は死ななければ、
この世にいられなかったり、
したのであろうか、と。
それを、どう受け止めるのだろう、と。
そこが、接点です。
そう、思います。
アニメ、という文化は、
いや、そもそも、アニメ、という、
番組、作品は、
闇を掘り起こすのか、
はたまた、おちゃめな光を振り撒くのか。
あたしは、人間として、
どうして、こういう、エピソードを、
アニメとして、制作しようと、思うのかな、と、
その、一点に、興味があります。
自分の書いた、小説を、
勝手に使用された。そんな言葉、
だったのかなあ、と、
その青葉真司という、名前の、
犯人の思考を、アタマを、
考えてみたりしましたが。
どうなんでしょうね。
うーん、どんな小説を、
書き上げて、そんで、
たぶんきっと、そこにプライドが、
あったんでしょうね。
でも、どんな小説だったんだろう。
あたしは、すこし、そこが気がかりです。
もちろん、京アニさんが、パクったり、
したのではないだろう、と、思いますけども。
でも、その小説と、なにかのアニメの作品の、
間に、交流のない、共通点が、
あったりした、可能性は、ゼロではないと、
思いますよ(なんか時間とか時代とかのせいかな)。
でも、だからといって、
人を殺めるのは、おかしいですね。
全然理不尽で、話にならないですね。
これが、人間の思考ですが。
でも、それにしても、
どうして、そんなにたくさんの、
スタッフさんが、消えて亡くなってしまったのかは、
また別の問題ですよね(本当に)。
スタッフさんたちが、そんな悲しい、
死を選ばさせられたのか、は。
本人たちの、ライフカルマに、
関連性があったから、だろうと、思います。
大きく人員がなくなり、
で、それからも、本社と他のスタジオで、
活動をしていってほしい、と。
たくさんの、方が、呼びかけ、
社もそのつもりで、いるというのが、
たぶんそうなんだろうなあ、と、
思うのです、けども。
大きすぎる惨事(先日のノートルダム大聖堂の火災ね)、
の後に、もう一回、復旧、というのは、
もっと、後味の悪い、ことを呼びますから、
出来れば、もう諦めて欲しいなあ、と、
先日のノートルダムのときにも、
正直、あたしは思ったのですが。
でも、うーん、ファクターが、
どういう理由であったか、
考えてみれば、止まることのない、
連鎖カルマをセレクトするんだろうなあ、と。
悲しくなりますが。
そんなこと、わかるはずないわな。
そう、書いてもおきます。
そういう、因果の、関連性。
相関というか。を、あたしは、
すごく、アニメという文化の、
屈折した、社会反感から来るような、
あるいは、連帯的な、優待意識のような。
そういう、一元社会律論でありながら、
他者をすこし、牽制するような。
ところが、すこし、苦手で。
冴えたり、冷めたり、寂しかったり、
するところが、すこし、底冷えのように、
思えたりするのでした。
アニメは、現実より、悲惨な筋運びで、
進みます。もしかしたら、
その悲惨さだけで、価値観を完成させないでね、
という、その理不尽への、わだかまりが、
生んだ、アクシデントだったり、するのかも、
しれません。以上シェリルでした。