本当は、どうなのか、なのだな。
でもちょっと言いにくいけど、
情報の虚実って、
全然、誰でも、わかるはず、ないですよね。
あたりまえのことだけれど。
でも、本当に、発生していること、
事実そうであるということ。
それらを、突き止めて、
考えていった結果として、
人間の、自発的な行動があります。
だから、見分けが、つきやすいように。
もしくは、踊らされないように。
あんまり、情報と戯れないほうがいい。
それは、極端ではありますが、
ありがちな真実のような、気もしています。
本当のことだけしか、
公共的に、流れないような、
社会構造式に、最近は、絶対、
なっていません。
だからこそ、憎しみを、持たない、とか。
すこし、慎重な気持ちを、保とうとする、とか。
あったほうが、いいのだと、思います。
人間は、いいところも、悪いところも、
ありますが、
全体としては、善良な生きもので、
あると、知っています。
けれども、ひとつひとつの、
積み重ねが、言いにくいですが、
生きにくい構造式を、
作ったりすることが、あるのです。
社会体制とは、人間に対して、
実際に、薄情にしたり、
差別したり、するものでは、
本当に、ありません。
だからこそ、誰かを、
非難したい気持ちとか、
嘲りたい気持ちが、
たぶん、自分には、ないのだ、と、
これを、読んでくださっている、
優しいあなたに、気づいていただきたいのです。
実際には、誰もが、
そんな気持ちない、はずなのです。
だからこそ、お互い、見合って、
考えてみたいのです。
人生とは、そういうものだと、思います。