それでは、こんばんはです。
今日は終戦記念日ですね。
還らぬひとの無念を、心に想う日です。
みなさま、戦争に関する、主体的な意見をお持ちですか?
絶対してはいけない。
争いとはなんだろうか。
人間は、いつも、実際には、善意で動く、生物です。
なぜ、あの73年前の夏に、
悲しいラジオを聞き、壊れた表情で嘆いた。
そんな事件が、あったのでしょうか。
あたしは、その、73年前のことを、ときおり想像します。
あたしの実家では、よく天ぷらを山ほど揚げていましたね。
母は、普通に、天ぷらと呼んでいました(その光景を)。
母は、キスを揚げるのが好きで、
かつ、磯辺揚げ(ちくわの)が好き。
そうして、ささみ天が、大好物だったのを、覚えています。
母の父は、戦争で、戦死しました。
1944年生まれだった、母は、
お父さまの、姿形を、知らなかったそうです。
フィリピンの、ルソン島で、祖父は逝きました。
こんなことを書くと、現代の日本人は、おかしく思うかも、しれませんが。
母は、父親を奪った、アメリカが、大嫌いでした。
「天は人の上に人を作らず!」
と、福沢諭吉の言葉を叫びながら、
母と、母の姉は、新聞配達を、したそうです。
夕刊を、自転車で配りながら、
父親のいない悲しみを、アメリカにぶつけた母でした。
結果として、母には、すごくついていないことが、ありました。
母の母親、彼女は、仕事をちゃんと見つけ、
3人兄妹を、ちゃんと育てあげたのですが、
彼女の仕事とは、大尊敬しています、
中学校の用務員。
戦後、間もないころ、用務員は、住み込みでした。
3人の子と、母親は、中学校の中の、用務員室に、住み、
そう、母には、家が、なかったのでした。
それが、母の、悲しみ。
大好きな父親が、おらず、
家が、かつなかったのです。
孤独だ、と、母はずっと想い続けていました。
そんなころ、友達の家へ行くと、
にんじんの、かき揚げを、よくおばさんが出してくれたそうです。
母は、甘い、そのにんじんが大好物で、
自分でも、振り返りながら、よく作っていました。
あたしも、あの甘い、にんじんの、かき揚げは、大好物です。
そうそう、あたしのうちでは、揚げ物の日、
そりゃ豪華な気持ちになるものでした。
広告のインクがちょっとついた(笑)、揚げ物を、
おなかいっぱい、5人家族でつついた、ものでした。
母のうちは、あたしの実家。いつも、今も、弟が暮らしています。
あたしは、それを、食べるとき、ふと、ちょっと想うことがあったのでした。
昭和20年、1945年ですね。
そのころの、出来事を書いた、向田邦子さんのエッセイを、
ときどき、思い出します。
『父の詫び状』というタイトルの本だったように覚えていますが。
違ったらすみません。
けど、まあ、そのエッセイの中でね、
空襲が来るぞ、と警報が鳴って、
一生懸命、耐えて待って、
で、なんとか、助かって、
そんで、精進揚げを、作って、
そのさつまいも天が美味しかったんだ。
というエピソードだったように、覚えています。
あたしは、精進揚げ、という言葉を、はじめてそのとき知りました。
そうして、母に、
「これって精進揚げって言うんでないの?」
と、そのいつもの、天ぷらの日にね、聞き。
「あ、いや、これはちくわとかも入っているから違うのよ」
と、いつもの通り、優しく教えてくれて。
そんで、なるほどなあ、と思った。
そんでもその精進揚げって言葉が気に入ったんだよね。
さつまいもはたくさんあるから、最後の晩餐にいいだろうって。
すごい、悲しみが、諦念がそこにあるなあ、とも、思った。
精進って言えば、植物だけです、って意味ですよね。
うーん、母が逝って、おばが、まず、
「とりあえず精進ごっそを作ったから」
と、ほうれん草のごまあえと、
4月のはじめだったんで、トマトのいいやつをいっぱい持ってね、
来てくれたんだよね。
誰かが炊いてくださった、あたしの大好物の味ごはんもあった。
あのごまあえは、あたしに大切なことを教えてくれました。
今日は、お盆ですね。
先程、いちごかき氷を食べました。
うちの母は、くいしんぼだったなあ、と、
今日、ひさしぶりに噛み締めました。
今年からは、母の横に、また親父がセットでいますね。
なんだか、ひさしぶりに食べたいちごのかき氷、
すーごい、あの日のように美味しかったよ、母さん。
そう言えば、おばあちゃんとお母さんは、
あのひとのことを想いながら。
お父さんのような、背の高い(高すぎ?)あの税理士さん。
彼はアメリカンスイートハートでしたね。
石油コンビナートの街に、生きた人たち。
偲んで、今日のお盆のあたしのおはなしでございます。