プレゼント

チルチルミチルの青い鳥、それは本当の奇跡の証。

心から、お見舞いを申し上げます。

知的障害とは何か。

あたしも、あまりくわしいほうではないのですが。

なぜ、ひとは、施設に、

大好きな家族を、預けなければならなかったりするのでしょうか。

ケースバイケースと、普通書くところですが、

そうでもなく、ひとつ、

たまたま、ついてなかっただけなんだろうなあ、と。

無力さを噛み締めてらっしゃるだろう、

悲しみの癒えることが、決してないだろう、

被害遺族さまに、深く、お見舞い申し上げます。

悲しいですね。

本当に、心から、お見舞い申し上げます。

この書き方で、あたしが、事実を理解できていると、

察していただければ、いいですね。

 

津久井やまゆり園>で、発生した、

19人の障害のかたが、亡くなった、

悲しい、残虐な、オカルトに見える事件が、

起きて、今日で2年になるそうです。

 

あたしは、ふだん、政治的なこととか、

事件的なこと、政治経済かな、

は、書かないことに、しています。

あたしがイチイチ書いていたら、イヤですよね。

また、あんまり、くわしくないのも、事実では、あるのです。

 

けどね、今日は、この話を、

マイルールを曲げて、書かせていただきます。

障害者とはなにか。

なかなか、健常者ではつかみにくい。

そんな実態あるんやろうか、と。

あたしは、書きます。

 

神奈川県はそうなんだろうか。

そんなことも、ないと、思います。

障害には、3種ありまして、

この、<津久井やまゆり園>では、

知的障害のかたを、入所させてくださっているのだと、

書いてありますね。

そうですよね。

 

知的障害って、何ですか?

と、問われたら、まあ自閉症とか、

ダウン症とかだと、

あたしは、大体そう覚えているのですが、

意思の疎通が出来ない、というケースは、

割と多い、ですよね。

うん、そんでも宝物や、生き物は、と。

あたしも、書きますが。

 

しかして、一緒に暮らすのは負担が大きい。

それも、まあ事実なことがあり。

もちろん、程度差が、あります。

自分が他の理由(病気とかね)で、

面倒見られなくなったら、施設ですよね。

 

うーん、一緒に住めていたら、

それはそれ、生きていたんでしょうね。

泣けるな。泣く。

 

そんなね、どんなひとでも、生き物です。

大概、だいじょうぶなもの、それぞ人間です。

意思の疎通が出来ない障害者は、安楽死がいい。

まあ、まあ、うん、意味わからないでしょ。

わからなくていいんですよ。

 

知的障害のひとは、独特の気があります。

で、それが、意外と接してみると、好ましい波動なんだ、と、

福祉に携わられているスタッフさんたちは、

思うと思いますし、

それで、偏屈な話、

就労支援として、雇用先になってくださっている、

そんな、雇用主も、あったり、しますね。

 

まあ、いろいろな気づき、が、

知的障害のかたと接していると、あるのは事実です。

あたしは養護学校とかのことは、くわしくありません。

でも、まあ、ちょっとはひとよりはくわしかったりします。

で、その知的障害のかたの、

あたしも、さっきちょっと多目に、資料をあたったんですが。

生きているうえで、リリカルなことがあり。

 

これが、生きているという意味なのか、とか。

生活とは、何か、とか。生命とは、何か、とか。

はたまた、時間の尺度への捉えかたであるとか、

雰囲気、であるとかね。

 

その、独特の綾が、

ひとを、立ち止まらせ、

そうして、自分の不思議を知るきっかけになっているのだと、

おっしゃりたいかたも、多いのだと理解しています。

 

先日、ニュースを拝見していたら、

ダウン症の息子さんが、早くに亡くなった、

悲しみを生きてらっしゃる、お母様が見えてね、

彼が、ムードメーカーになって、

家族とかぬくもりとかを、教えてくれた、と、

いい、教えを、いただきました。

 

少し、畑違いの話ではありますが、

あたしも、あたしゆえ、そう思います。

そう、書いておきます。

 

ひとりひとりの生命は、

同じ重さだと、ちゃんと書きます。

そうして、その煌めきが、

途絶えたとき、それが、

どうして、消えてしまったりするのか、

あたしは、くわしいほうだと、思います。

 

そういえば、あたしにも、見た、悲しみがありました。

 

26歳で亡くなられたという、自閉症の娘さんが、

スピッツの「チェリー」が好きだったと、

書いてあったんですが。

先日、書いた、22歳で逝った、あたしの友達も、

よく似た、悲しいことがあり。

心に、重い障害を持ち、そのうち、ぶしつけに、

仕返しのように逝ったね、

素敵なエンジェルでした。

 

その子と、高校時代、ケーキ屋に行くのが好きで、

それでも一生懸命、生きようとした、彼女は、

まっすぐに、素早く、文字を書くこともできないのに、

ケーキを食べる、よろこびを、身につけようと、してくれました。

 

彼女は、「となりのトトロ」が、好きでした。

あたしが、スピッツの「スカーレット」を聞かせると、

うれしそうに、ヒットソングなど知らない彼女が、

嬉しそうに、してくれたのが、あたしの、

あたしらしくない、人生の、原点です。

 

ミスチルではダメだったみたいでした(笑)。

 

まあ、あたしの人生とは、こういうものです。

逝ったかたがた、それぞれ、

あたしみたいな、知力肥大型じゃなくて(笑)。

もっと、小さなしあわせ、繋ぎ合わせて、

生きてらっしゃった、めちゃくちゃな平凡さだっただろう、と、

思いますね。

それが、何よりも愛しい。

あくせくする21世紀のね、

SNSに支配された、時代に、

のんびりした、時間へのダウトを、もたらしてくれた

そんなひとたちの、悲しみを思います。

常識は、少し平凡じゃないですね(笑)。

そう、思います。

 

亡くなられたかただけでなく、傷を負いながらも、

生きていかれるかた。

ご遺族、スタッフさんたち。

いい、メンバーさんたちばかりでしたね。

ひとは、何故、生まれ、生き、魂になるのか。

あたしも、よく知っていると思います。

 

ありがとうございました。また、生きてみたいと思える、

素敵な世界を、繋いでいきましょうね。

では、またあとで。