いのちの電話。
誰かのあたたかな声を、泣いているひとが待っている、という。そんないのちの電話が、人手不足で困っているという記事です。
http://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2017/03/0330.html
私は、人に、人の心の痛みをわかってほしい、と、すごく驚かれると思うのですが、思いません。わからなくていいんです。そちらに、気づいてほしいのです。理由は、痛みは、痛かった傷、味わった箇所、味わった人、その人本人しか、体験することが、ないからです。だから、ムリにわからなきゃダメだと、思わないでください。
けれど、痛みを否定しないで、あげてください。じっと、痛さに耐えている。大変なことです。そうして、荷物は、もってあげてください。
人の心の痛みは、痛かった人本人にしかわかりません。けれど、痛くつらく、悲しいのが事実です。受け入れる、と、判る、は違います。その距離を見間違えず、話したいことが、あるようなら、まず、聞いてさしあげてください。
その、悲しい手を、声を、話したい気持ちを、大切にしたい。そんな態勢が、できなくなってきている。それは悲しい、ことです。
優しく抱き止める手を、声を、誰でも待っています。人間は、いたわりで出来ていると、私は知っています。