プレゼント

チルチルミチルの青い鳥、それは本当の奇跡の証。

しかしそれにしても。

 生きることは、時にややこしい問題がさ、あったりするよね。

 今、私が戦っていることって、適応力とは、何かということでね。無理難題を押し付ける、何かを、暴いて片づける大切なことでね、もちろん、大変苦労しています。

 私は、私なので、出来れば守られていたいのです。けれども、もし、何かあるとき、逃げられないのも、人間共通の理屈で、それがしんどいのです。

 めちゃくちゃ生きてみて、分かることが多く、人間というのは、時にややこしい命題を与えられて、四苦八苦するものやな、と分かりました。にしても、早く何とか解決して、和やかな暮らしになりたいものです。

励みにしていただけると嬉しいので。

 しかし、私は本当に人が好きですね。人間が誰かに良くしてさしあげたいと思う気持ちは真実の範疇のようです。

 海老蔵さんと麻央さんのご夫妻の愛の強さを思って。

 私は常識的に、書けるだけ、本当のことを書いています。書けない、書かないことも、もちろん、あります。…が、今まで書いてなかった悲しい話をしますね。

 実は、大切な私の母親が、数年前にガンで死にました。麻央ちゃんによく似た可愛い母でした。70歳になりたてでした。

 いつも、母を思うと、いなくなった、母の、かけがえのないひと、少し言いにくいのですが、小林さんと言いました、のことを思い出します。

 いつまでも、元気に生きていて欲しい、素敵な母でした。ガンになった理由はアンレギュラーで、私は私の遺伝をあまり気にしてはいません。

 5年半戦った母は、立派でした。父の愛の深さを思い知りました。

 麻央ちゃんに、いつまでだっていてほしい、母のたからものの私です。だから、今まで書かなかったことを、書いてみました。

 母の大切な小林さんが、いなくなって、もう10年は過ぎたかな。ふたりは、私の生きる勲章で、父は、私の立派なお父さんです。

 父の日が来て、母がいなくて、いつも夢のように、父の愛の強さを、娘は、誇りにしていますが、ご家族、手を取り合って、毎日、幸せにありましょう。きっと、私の、大好きな小林さんに嫁がなかった母は、それでも、彼の、かけがえのない小さな恋人だったと思います。

 ね、小林さん、またいつかお会いしましょう。

それにしてもね。

 母さんいないとすっごいさみしい。大好きなんや、とちゃんと書いておきます。大親友で、戦友だったな。たくさんの悲しみをくぐり抜けてきたけれど、私が幸せになることを、何より母さんは大事にしています。きっと、何処のうちも一緒です。

 好きなひとには、生きているうちに、早く好きと言わなきゃ、それが、母の言葉で、一番大切な言葉でした。

本当はね。

 役所になんか用事があって、電車乗って、歩いてたどり着いて、無事終わりました、って日になった。昨日の見込みと違った。そんで、まあハッピーやな、と。めんどくさい用事やったん。明日は休憩。早くなんとか次の章に変わって。

 ここんとこ二番に大変やった事件が、119で呼んで、なんとか事なきを得た事件。昨日はもっと大変でした。まだかさんでる最中ですし。自分用じゃないけど、どれも大変でした。私の人生って何。教えてドラえもん

 本当に予期せぬことはほぼないこの世です。そんでも昨日は気づいてなかったなー。結果、腰が調子悪いの。早く治って(笑)。

最近のおまじない。

 追いこまれてきたら、奥田民生さまの「MILLEN BOX」をかける。なんか効くのよ、空気に。しらけないように。

 昔、民生さんのコンサートに行ったら、いろんなことがありまして。チャーシューの件もありました。無邪気なチャイルドに諭される現場も見ました。睨まれ、微笑みかえし、現実的な私の人生があります。

 すっかり、好きになったので、いつかインタビューをとるのが、私の夢です。夢じゃないかも。

不満の声ごもっとも。

 タイトルのとこが好き。野太い声で歌われると、気概でいっぱいになります。30歳ちょっと過ぎて、おっさんギャグとか書いた奥田さまは、きっと、自覚があんまりなかったのでしょう。

 ちなみに時間の概念というときには、スケジュールがつながってないときが幸福論とか、余裕の時をもっととかそういうのが、大事です。

 要するに、時間に対する捉え方やね。