めずらしいことですが。
今日は比較的、気楽です。
なんとも、まあ。いいのですが。
明日はどうなるでしょうか。
コロナウィルス肺炎と格闘する、
日本です、こんにちは、シェリルです。
いつも、ご来訪ありがとうございます。
嬉しいです(よいことがありました)。
えーと、最近は、ずっと、
アマゾンのfireですね、
没頭しております(絵ぐらいは描いています・かつ)。
ブログを書くぐらいだと、快適な範囲ですね。
昔はマッキントッシュで書いていたんですが(笑)。
このタブレットも、もう結構ね、
長く使っていますね(2年になります)。
組み合わせてぱたぱた書いていたりしますが。
あたしね、パソコンのキーボード(これね)、
じゃないと、書けないんですね(笑)。
自分で書いていて、わたわたしますが、
ケータイで打つのが本当にまどろっこしく。
結構苦手ですね(物理的にもね・苦笑)。
でもこのキーボードが、あたしはね、
結構早いし、酷使するので、壊れるんです(涙)。
はたまた、電池が尽きるのも、早いのです。
やっぱり、ブロガー、ものかきというのは、
こういうところに、ものがいりようですね(爆)。
ええ、でもこんなブロガー、たくさんいますよね。
あんまりいないかしら…(涙)。
そういう、今日のあたしですが。
最近はね、パラベンフリーへ、こだわりを変えた。
そんなコスメ事情も、週末には書いてみたいな。
そう、思ったりもしています(出掛けにくいし)。
新型肺炎のこのやろー。
仕方ないので、物欲をアマゾンで、
晴らすことにしました(親の仇のようですが)。
タブレットくんに、似合いの、可愛いカバーを、
発見したので、買いたいのです。
もう買いますが(準備はしました)。
明日は天気が悪い、とかね、聞いても、
買い物へ行きにくい(さすがにイオンはちょっと)。
せめて、近所のスーパーとかドラッグストアへ。
それだけにすべきだろう、とか、思いますが。
交通費やら、外食代やら考えると、もしかしたら、
これを契機とすると良いのかもしれず。
楽しく物を買いたいなあ、と、満更でもなく、
言い訳がましく(爆)。買いたいなあ、と、
存じております。めずらしいことですが。
楽しく、できるだけ、努力し、
天皇陛下のお誕生日(還暦の)。
を、お祝いしようと思っています(日曜日ですね)。
明日は、ちょっと見にくかった、
「麒麟がくる」を、楽しく見直そう、と、
再放送タイム、お待ちすることにしてあります。
あたしも60歳になったら、やってみたいです。
真面目ですよ(爆笑)。
あ、昨日は「クローズアップ現代プラス」も、
武田真一アナを、見つめながら、拝見しました。
重度障害者とは、何か。命を思いました。
で、その中でね、命あるものを、愛す。
という、当たり前の、行動を、想念を、
もっと、尊ぼうよ、と、自分へ、思いました。
そこも、書いておきます。
障害者の施設(見た感じ、知的なのかな)で、
公務員に、採用されなかった、青年が、
この春から、新卒で、働くことになっており、
で、そのためにも、と、植松聖被告の、
あの障害者殺傷事件の、裁判の傍聴へ、
見たい、と足を運ばれた、そのことをね、
見ながら、良く、そういう意味だな、と、
思いました(それにしても、道は厳しいですね)。
本当に、命とは尊い。まず、それをちょっと、
わかりやすく、把握できたように感じています。
難しいのは、難しいんです。悲しい、とか、
そういうのとは、またあたしが、抱いている、
感情は、違うんですね。厳しい、と思います。
本当に、それにしても、命は、素晴らしいものです。
世界からの、プレゼントです。で、
儚く、亡くなるものです。そうして、それでも、
いつまでも、覚えていたい、ものです。
そのことを、強く、感じました。
また、その儚さが、際立っている。
そこを、重度障害者の方々の、映像が、
より、強く、強烈に、あたしに、命を、と。
生きる生活を、と。そうして、裏腹に、
されてしまいそうな、その、何かが、
もう、あまりにも、難しい文章を、
こうして、あたしに、書かせてくださっています。
命とは、わがすべて。そう書いています。
若い頃、心に、深い傷を負った、父親に、
虐待された少女と、友人だったあたしです。
もう、19年前、あてつけとして、彼女は、
自殺した、経緯があります。天使のように、
可憐な、文化をあまり知らぬ少女でした。
そうして、自分も、人へ、間違った行為を、
することがあるのだと、気づいて、
その痛みを、堪え切れず、自死した、彼女です。
彼女は、文章を書くのが、それにしても、上手く。
あたしは、友人なのに、それを、告別式まで、
知りませんでした。ですが、その文章は、
あまりにも、素晴らしく、平易でありながら、
胸を打ち。死刑制度とは何か、を、問うた、
とある映画をあたしが観た、2日後に亡くなり、
2日後に告別式となった、彼女の。その文章は、
これから、物を書いて生きたい、と、願い、
修行を始めた頃だった、あたしの、真理となりそうな。
そんな、素晴らしい言葉だった。文章だった。
今、みなさまに、彼女が与えてくれた、悟りを。
天使の羽根が、くれたようなギフトを。
書かせていただいていて、率直に、あの、あまりにも、
可愛そうな、優しさに満ちた、親友の、
この、悲しみを、生涯とは何か、という。
命のきらめきとして、書かせていただいていて、
ああ、連れが喜ぶだろうなあ、と。思います。
母親が、早くに亡くなったのは、お前が、
困らせたからだ、と。そんなことを、
もし、言われたら、あたしもそうするかもしれません。
障害者とは、命を、より、強く燃焼し、
果てしない、悟りを、世界へ与えてくれる。
そんな瀬戸際な、素晴らしく大きな、存在です。
パラリンピックも、そうだと思います。
これは、きっと、世界の、基本的な機能だと思います。
命、ある限り。命、尽きても、なおと。
書いていて、矛盾なく、今、思っています。
いつも、あの娘さんの、可愛い、ぐさっと来るような、
そんな茶目っ気いっぱいの笑顔と、きっと、
女性としても愛していたであろう、恩師の。
娘ざかりに、果てた、人生が、不在が、どうあれ。
果てしなく悲しすぎて、今日も書くぐらいのが、
まったく理不尽ですが、そのとおりです。