今日は近所の和菓子屋さんが、
混み合ってるなーと。
お彼岸ですものね。
さっき、はたと気づきました。
お父さん、お母さん、
なんか墓参りに帰ったりしてなくて、
申し訳ないんですが。
10連休はちょっとは帰りたいな。
うん、どんな和菓子屋さんかは伏せますが。
美味しいんですが。赤福ではないのです。
でも、美味ですよ。
またそのうち書けたら書こうなあ。
需要はありそうだ。
今日は、よく晴れた水曜日で、
気分よく、中学生な格好で(笑)、
過ごさせていただきました。
コートも今日は、後半は脱いでましたね。
あったかくて。
長崎では、桜が咲いたそうですね。
今年一番乗り。
いい感じだなあ、と、春分を迎える前の日。
ほどほどの春の感じに、じーんとしています。
お子さまがたの、卒業式やら、
終業式やら、かさんできていると思います。
また、新入学の準備も、多いよね。
もうじき、また新しい日々のはじまりです。
同時に、今年は、新しい時代の、はじまりです。
そう、思います。
どんな風に、どんな理想で、生きていけば、
楽しく日々歩けるだろう、と。
今年は、この後、よく考えるものと思います。
昨日、「うたコン」を、拝見していたときに、
思ったのですが、森山直太朗さんの、
「さくら(合唱)」を拝見していて。
人間とは、さまざまな側面があり、
出会いがあり、別れがあり、例えば、
桜の季節、そういうことが、多いんだな、と。
彼の、書いた、すごく精密な曲を、
感謝しながら、聞いていました。
それにしても、生歌で聞くと、
なかなか、迫力があり。
けれども、発売当時、思った、
まあ、正直、違和感のあった、事実を。
ふと、昨日のその段階においては、
忘れていることに、気づいて。
商業ポップスとは、何か。
そうして、流通音楽とは、何か、を。
だいぶ、最近は変遷があったんだな、と。
自分の、意識レベルとしても、思いました。
当時、あまり、麗しくない、
展開で、リリースされた曲だったように、
今、ふと思って。
あたしは、古臭いな、と、正直思ったと。
今、思い出しましたが。
普遍的な曲を、リリースするのが、
なかなか、ポピュラーミュージックな場面においては。
ややこしいな、と、思える時代だったと。
今。ふと思い出します。
そうでした。まるで、蜃気楼のような、
幻影のような曲だな、と、
そんときは。思いました。
正直、今、聞き返すと、
不思議に思われるかもしれませんが、
誠実な気持ちが、伝えてきます。
けれど、言葉では説明できない、
やっぱり、繊細なまぼろしがそこにはあります。
幻のように。そんなこと、
当時は、よくありましたし、
今も普通にあります。
で、そこを、見抜き、羅針盤として、
サポートするのが、大好きだった、
15年前のあたし、シェリルを、思い出します。
物事の本質とは、なかなか語れないもので、
今日も、ちょっとよく書かないんですが。
けれども、桜の季節、今年も、
普遍的な支持を集め、聞かれているだろう、
さまざまなジャンルの、曲に、
なんかちょっと、気づきたいな、と。
思いながら、今日も、なんか噛み砕きにくい、
ナッツのような、説明で、申し訳ないのですが、
トリセツと、させていただこう、と思います。
普遍とは、普通とは、流通とは何か。