いつもメタファーに満ちています!
いつも、率直に、書けるといいな、と思うのですが。
それにしても、なかなか、本当のことを書くのは、
なんかやっぱり、難しくて、
いつも、ちょっと隠していたり、します。
けど、それが、回り道ではありますが、
必ず、真実を、書ける道であると、
あたしは、信じています。
と、前置きをさせてもらって。
今日は、昭和の文豪、向田邦子さんの誕生日です。
生きていらっしゃれば、88歳になる、誕生日です。
おめでとうございます、と、率直に書きます。
いつも、最初の頃から、そう思っていたわけではありませんが。
あたしは、あたしとして、いつも、あなた、邦子さんのことを、
大きな、ひとつの指標として、描いています。
ものかきになりたい、と心に誓い、
音楽の評論をしたいのだと、自分なりに努力し、
今、こうして、大きな場面を踏んできた、自分が、
あなたのいいところを、感じとりたい、あなたの誕生日です。
今日は、晴れたあたたかな明るい日です。
料理がじょうずな、あなたを思いました。
あたしは、すこし、違いますが。
あなたは、筆致で苦労されていたのだと、
同じ穴のムジナなので、20代のころ、気付きました。
涙ながらに、わかります。あたしは、逆ですが。
洒脱な文体でもう書けることはないでしょう。
書き出しのころは、洒脱すぎて、話にならないくらいだったので、
嫌がって、下げたのはあたしの根性です(笑)。
ありがとうございます。
何よりも、目のつけどころがシャープなおくにさんでしたね。
それにしても、女らしい恥じらいが大嫌いでしたね。
昔、絵描きになれば、と、うちの母勇者×××が、褒めてくれて、
「ううん、もの書きになりたいんだい」と、
言ったそんときのことも思い出しました。
絵もまあまあ上手いんだけどね。
でも、絵で、同じ失敗をするのは、嫌だったんだろうね。
あんまり器用でない指であった。
いつも、絵、とか思うと「好きだけどB級…」と思い。
で、なんか目標があるわけでもないのに、
もの書き、しかも音楽評論家、と思ったんだなあ。
そのころの音楽雑誌本当に面白かったもんね。
で、それにしたって、すぐ物になった、いい文章能力で。
国語、現代国語だけは、すーごく自分らしい成績だった!
と、いつも思い出します。他の教科、悪いわけではなかったが。
エッセイストぐらいなら、いつでも食える!
と、最初からそうすればよかったのにね(笑)。
と、大変困惑したあの頃を思い出しました。
うん、そういうお話だったりします。
しても性能いいなあ、あたしは、と、
おくにさんのことを思いながら書きました。
なんでもの書きになりたいと、あたし思ったんだろうね。
理由は、たぶん本当に合ってるからだけなんだが。
ああ、こうなりたいんだなあ、智恵子さんは、
絵でなくて、文章なら、光太郎さんと、どっこいどっこいで、
胸張って生きられる自分になれるんだろうなあ、と。
思ったんだなあ、と思い出します。
もう亡き友達と、一緒に、もうないコーヒー屋に入って。
コーヒー飲んで、詩集にはまり。
こういうのが文体だとか、わめくぐらいには、
十分デカダンなあたしでよかったです。
智恵子さんは、なんでそーいう悲しい目にあったんだろうなあ、と。
どこにも理由がないんだなあ、と。
そりゃあそれはそれだけどよ。
ひとつ言えることがあってね、
好きな男がいるんならね、自分は彼、同じ道を歩きなよと。
今、微笑みを浮かべながらあたしは書きますね。
同じ道なんだね。あたし自分はもーなんかそうなってるわ(笑)。
うん、詩集書いてみたらどうだい智恵子さん。
あたしは、まあ自分らしく地味に歌も歌ってみるわ(爆笑)。
と、いう、あたしらしいシグナルサインでした。