ああ。
正午に、瀧川剛史アナを、
見たとき、
「もしかして泣いてないか」
と、きょとんとするほど、
びっくりしたものですが…。
今、18時03分、読んでいる、
NHKの、ほかのアナも、
目が潤んでいます。
報道マンのみなさま、ありがとうございます。
どうですか、みなさま、
あたしの瞳からも、涙溢れて来ました。
本当に、ごめんな、と。
東北の方へ、つい書いてしまいます。
ありがとう、強風だいじょうぶですか?
結構すごそうなんで、心配しています。
伊勢の風も、しぇーさん(細い)には、
厳しいものですが…。
神風の吹く地、伊勢市、と呼ばれます。
もちろん、神風特攻のことを、
すぐ連想します。
日の丸の似合い過ぎる、伊勢市。
住み着いて、11年。
平成で、一番悲しいこと、
それは、東日本大震災です。
間違いなく、そうでしょう。
ですが、昭和の悲しみ、と言えば、
大東亜戦争ですね。
広島、長崎、原爆投下。
まったく、今をもって、
忘れ得ぬ、ことです。
いつも、ちょくちょく思い出します。
もうじき、平成から、元号が動きます。
さらば、平成。そこまで来ました。
あたしが、平成、というこの元号へ、
昭和から、変わった頃、
一番、気にしていたのは、
名アナウンサー。
誰でも、覚えが、その頃の、
生きていて、歩いた人にはある。
逸見政孝さんですね。
なつかしいですか?
いつも、逸見さんを、忘れたことが、
あたしは、ありません。
1993年、12月25日に、
逸見さんは、胃ガンで亡くなったんですね。
でも、平成になりたてのね、
日本で、こんなに本物の人がね、
いるんだ、と。びっくりしながら、
熱烈な愛を、支持を、あたしはしていましたね。
亡くなったとき、あたしたち家族は、
まず泣きました。5人全員で。
で、ZARDの「ずっと忘れない」を、
聞きながら、わんわん、母が泣いていたのを、
あたし、シェリルは、覚えています。
そうです、彼の番組だった、
有名なやつ、「平成教育委員会」です。
これを、書きたかったの。
あたし、当時よく見ていました。
彼が逝き25年。
平成が、終わろうとしています。
あたしは、ミスチルの、
12枚目のシングルだった、
「マシンガンをぶっ放せ」を、
聞くとき、たまには今も聞くんですよ(笑)、
逸見アナウンサーを、思い出します。
ライブで、スクリーンに、
逸見政孝をモチーフとしていそうな、
メガネ姿の、桜井和寿が、
映し出されて。
その頃は、気づかなかったけれど、
今は、あれは逸見さんだったんだろうなあ、と、
ふと、思い出します。
今日は、大相撲大阪場所を、
ちょっと見ていました。
で、まあ、あたしがね、しなければならない、
次の作業。わかりやすく書くと、
今、ちゃんと進めてはいますが、
アヴリル・ラヴィーンさんの、
『Head Above Water』の、トリセツ。
その作成を、しなきゃいかんと。
思いながらいるんですが。
ふと、何故か、ラヴィーンを見ると。
ときどき、「逸見さん」と思うのは。
なんでかは、あたしには、理由があるんだけどさ。
いつも、なんか、目を細めて、
あの、美男のアナウンサーが、
ラヴィーンさんを、信じていてくれるように。
そう、思えてなりません。
そうですね、岩手日報。
ちょくちょく、見ますが。
こういう番組構成なんだ、とか。
震災関係のニュース多いな、とか。
スーパーあんまり物価違わないな、とか。
思います。ありがとうございます。